およげ!黒うにくん

教養のないウニがインターネットの海で冒険するぞえ!

なぜ実家の借金を5年も返したのか

親に貸した金が返してもらえず、結局、消費者金融に自分で返した。
5年かけて。

馬鹿馬鹿しい。

私が私の他人だったら、私を馬鹿にすると思う。
銀行の記録を証拠に、なぜ取り立てないのかと。

頭では分かっている。
でも出来ない。

今日は、取り留めのない話をまとめる訓練として、
私の不合理な行動について書いてみる。

 

 

# 時代背景と存在否定


私の両親は、子育てに向いていなかったと思う。

それでも子供を作ったのは、世間体を保つためだった。
まだ私の生まれた時代は、そういう価値観で、
親は周りから、子供が出来たら一人前とされていたのだと思う。

適正がないのに、子育てをしないといけない環境に置かれて、
親たちは明らかにストレスフルだった。

 

## 父親

小学生の頃、父親の会社に行ったことがある。
会社で父親は「いつまで経っても出世できないポンコツ」として扱われているのを子供ながらに感じた。
しかし、私を認知すると社員は、「この人も、人の親なんだな」と、感心している様子だった。

わざわざコストをかけて、子供を作るメリットが分かったような気がした。

会社では、日頃から会話をしている様に振る舞って、その場を乗り切った。
しかし、私は父親と家でほぼ会話したことがない。同居していたにも関わらず。

こちらが話しかけても、父親は反応を示すことはなかった。
顔をビンタしても、髪を引っ張っても反応がなかった。
あまりにも反応がないので、ベランダでタバコを吸っている時に、鍵を掛けて締め出してみた。その時は、さすがにカンカンに怒っていた。
30分くらい、寒空の下で顔を真赤にして怒っている父親を笑って眺め、
気が済んで、鍵を開けるとゲンコツされた。初めて父親が感情を顕にした。
でも、それは最初で最後だった。

父親との思い出はそれ。
私がサイコパスみたいだけど、子供をそこまで無視できる親もどうかしてる。親子揃って、何かが欠落している感じがする。

 

## 母親

母親は中卒で、それでも命を掛けて仕事に取り組んでいた。
私が物心ついた時、母親はずっと家で仕事をしていた。絵を描く仕事だった。話しかけても、締切に追われる彼女に子供の相手をする余裕はなかった。

親の気を引こうと、真似して絵を描いていた。
親に見せると、無言で赤字を入れられた。褒めてほしかったのに。
仕方なく、赤字に沿ってパースや前後関係を修正して再提出する。
また直される。未就学児の頃の話である。

お陰で学生時代は地元のコンテストで何度も賞を貰った。
しかし全然満たされなかった。
欲しいのは無償の愛だった。成果に対して褒められるだけでは
人間バランスを崩す。(後述する)

親は私が小学校に上る前に、会社を首になった。

そこで、母親は壊れてしまったのだと思う。
毎日、「子供がいるから〜が出来ない」と私に言って聞かせるようになった。物心ついたときから、実家を出るまで毎日。

Twitterが出始めると、ツイフェミになって発散していたようなので、多少
マシになったが、それ以前は特にひどかった。
よく、SNSの悪影響が取り沙汰されるが、リアル世界の汚物がネット世界に移って、可視化されているだけだと思う。

「自分は、存在してはいけない」という意識がずっとある。
頭では分かっていても、この意識が簡単には消えてくれない。


成果を出さないと、愛して貰えない。
だから、狂ったように仕事をしてしまう時期もあった。
人間として存在を否定されたから、人材として存在しようとしていた。

「子供の存在を毎日否定し続ける親」
最低だと思う。子供を作ったのは親自信の責任。
頭では分かっている。
しかし「自分の存在が、親の人生を奪った」という罪悪感が刷り込まれている。

 

 

# 壊れていく母親と子供

## 浮気する母親、加担する子供

母親は何回も浮気をしていた。父親は知らない。
私はその事実を知っていたが黙認していた。それどころか、家族ごっこの子供役として、浮気のデートに参加していた。

 

その時に、いつもなら買ってもらえない、ぬいぐるみを買ってもらった。
家族ごっこをすると、おもちゃや本が買ってもらえる。
家族ごっこをしないと、買ってもらえない。

 

母親は満足げだった。

 

浮気だと初めは分からなかった。
しかし、自分が恋愛をし始めると意味が分かっていく。
父親に言うべきか悩んだ。しかし、前述の通り、父親は私に無頓着だった。
日常会話もままならない相手に、伝える義理はなかった。

 

成長するにつれて、誰にも言わないまま、罪悪感が大きくなった。
そして、どんどん女性が怖くなっていった。
社会人になった今でも、女性らしい女性は苦手だ。

そう、自分を含め。
女性というより、女性性が苦手だ。
自分の中の女性性も怖い。
あまり人に、女らしさを見せたくない。恥部だと思ってしまう。

 

## 物を買い与えない親、欲しがれない子供

小さい頃、図鑑が欲しくて欲しがったことがある。
その時の親の引きつった顔が今でも忘れられない。

「親に捨てられたら、生活ができない。」
咄嗟に笑って取り繕った。

 

小学校に上がってから、しばらくは周りの子と飯事をして遊んでいた。
しかし、DSが流行り出すと、持っていない私は取り残されていった。

親は私に、「あんな物、欲しいなんて言わないよね?」と言った。
私は欲しかったが黙っていた。恐ろしかった。

 

本もおもちゃもゲームも買ってもらえず、友達には取り残され、
私は途方に暮れた。そして絵を描いた。
成果を出すことで、周囲から肯定されたかった。
しかし、実際は妬まれただけだった。小学校中学年になると、絵を描くのもやめた。

 

## 子供の現実が見れない親、無気力になる子供

小学校高学年の頃、初めて親のパソコンでインターネットに触れたのは、自殺の方法を検索するためだった。

母親は入院していた。私は平和に過ごしていた。そして、親が入院から帰ってくるのが怖くなった。その恐怖に耐えるのが”面倒になって”自殺しようと考えていた。しかし、どの死に方もグロテスクで、準備も面倒くさそうだった。面倒くさくなって、自殺は取りやめた。

 

毎日吐いていた。吐くのが面倒になっていた。
リストカットをしている子、両親が離婚して名字が変わることを、気にしているクラスメイトを冷たい目で見ていた。誰かに辛さをアピールする余裕があるその子達を内心馬鹿にしていた。

「吐くのは自分の意思ではどうする事もできない。自分で手首を切ったり、気にしたりするのは、自分の意思で行動を起こしている訳で、アピールでしかない」馬鹿にしていたから、余計に言えなかったとも言える。

 

結局、精神科に初めて掛かったのは、成人してからだった。
当時、毎日吐いている事を親は知っていたけど、自分の子が精神科に掛かることを嫌がっていた。

 

## 余談|どうやって乗り切ったのか

### 絵を描く

中学一年生の時、2週間寝込んだことがあった。
当然、学校にも行かなかった。しかし、不登校にはならなかった。

2週間ぶりに、フラフラの状態で学校に行くと周りは心配していた。それでも、大丈夫だと言っていた。「大丈夫じゃない」と言ったら、親の居る家に帰らないと行けないから。

学校に居る間は恐怖せずに済んだ。
美術部に入って、美術室を自由に使っていい権利を得ると、発表しない絵を沢山描いた。成果にならない絵。誰にも見せない、グロテスクで暗い絵を沢山描いた。メンタルが可視化されると、客観視できて落ち着いた。

 

### 治療する技術を知る

二十歳の頃、つまり、借金をはじめた当時、精神科で薬を貰った。
生活に困窮して病院にも行けない(制度をちゃんと使えば、行けたはず)状態になり、以降、薬を継続的に飲まなかったが、結局まだ生きている。

薬で回復する効果を知って、安心したのだと思う。
いざとなったら、この技術に頼ればいいと。
以来、病んでも、精神科に掛からなくても、ツイッターが多少荒れるだけで済んでいる。

 

 

## 自己中心的な親、親離れできない子供

 

私は18で自立した。その後、親は離婚し地元に返った。

十代の頃はこちらから会いに行った。

知らない家に行くと、親は仕事に出かけてしまった。
縁もゆかりもない土地で、足もないので暇を持て余した。
わざわざ行ったのに、あまり話ができなかった。

それでも、何回か家に行った。
十代の頃は、まだ親を必要としていたのだと思う。

 

2回目に行った時は、ネズミ講の勧誘を受けた。断ると、怒り出した。
母親は心が弱い。哀れだと思った。同情した。
3回目に行った時、知らない男がいた。結局その男は暴力を振るわれたとかで分かれたようだったけど、そういう所も同情した。

 

それで金を貸した。
ろくな使われ方をされないことも、返ってこないことも分かっていた。
それでも金を貸した。

 

償いのつもりだったんだと思う。

「自分の存在のせいで、この人の人生はより辛くなった。」

そして、金によって親と繋がっていかったのだと思う。

 

# 壊れたままの親、親離れする子供

 

今月で借金を完済する。5年間コツコツ返済してきた。

ボーナスもスマートフォンなどの本当に必要な物を買った以外は、すべて返済に当てた。

つらい日々だった。しかし、もう、親に金を返してもらおうとは思わない。

縁を切ろうと思う。

 

自分で親と繋がりたいと思って貸した金。

この5年間、親は変わらなかった。いや、初めから分かっていた。

変わる訳がなかった。

 

もう何も期待しない。してはいけない。

親は私を産んだ事は自己責任であって、私には非がない。

しかも、お金を無償で提供までした。

もういいだろ。

これで、自己満足した。

 

 

親ガチャの話なんて、うんちだけど、

どうしても、今の気持ちをどこかに残して置きたくて、殴り書きした。

終わり。