およげ!黒うにくん

教養のないウニがインターネットの海で冒険するぞえ!

アダルトチルドレンの症状をどうにかしたい話〜本を読む編4→哲学編〜

qlouni3.hatenablog.com

 

これの続き。

 

下記の考えを改めるという課題を突破できずに苦戦。

自力でなんとか、上書きする考えを捻り出したものの、腑に落ちていないので、

哲学にヒントを求めることにしたのだった。

・私には価値がない

・私のニーズはどうでも良い。他のみんなのニーズを満たす方が遥かに重要だ

・遊んでいる時間ははない。やるべき事がたくさんあるのだから

 

 

快楽主義(エピクロス派)の哲学を以前、下記のチャンネルで聞き齧っていたので、復習してみる。ガッツリやると時間がかかるので、ちゃんとやるのは別の機会に。

 

 

インプット

快楽主義(エピクロス派)

youtu.be

 

エピクロスは魂の快楽(平穏な心の状態)を追い求めるべきだ。

喉が渇くとか、お腹が空くとか、寒いとか、痛いとか。 人生においての苦痛に関しては避ける努力をして、

一定の生活ができているならば、もっとお金が欲しいとか、 もっとモテたいとか、もっと偉くなりたい。などの 無駄な欲望からは脱却せよ。

そうすれば魂が安定して幸せに生きることができる。

『隠れて生きよ』

 

禁欲(脱欲)主義(ストア派

エピクロス派と対立していた思想。

ストア派の心の平安は 『欲望から脱却すること』でたどり着けるものだと言われています。

苦痛に関しては避ける努力をするエピクロス派に対し、それさえも克服して、すべての欲から解放されることを目指す的な感じ。仏教と似ている

 

仏教

中道

 ・どちらに偏っても良くない 愛欲快楽↔︎苦行。

仏教も欲から解放されるべきとしているが、行き過ぎた苦行はダメだと言っている。

何事もバランスが大豆。

 

四諦

タイ)とは「見きわめられた道理。真理。真実。」のことを指すらしい。

真理に「諦め」と同じ文字が使われているのは、面白い

 

 ・「苦諦」 この世の中は一切が苦である

   ○ 諸行無常: 現象するものは、すべて生成消滅し、永遠不変ではない

   ○ 一切皆苦:この世の中のあらゆるものが苦しみ以外の何ものでもない

   諸法無我:全ての物事は『自分(自己)』ではない

 ・集諦: 『苦』を引き起こす原因は執着や煩悩である

 ・滅諦:『苦』の原因である執着や煩悩を止滅することにより、悟りに至る

 ・道諦:悟りを開くための正しい方法論

   縁起説:物事には必ず原因と結果の関係が成り立つ

 

『苦』にも必ず原因があるはずで 、その原因を排除することができれば『苦がない状態』にたどり着けるのではないか?

ストア派と似ているが、東洋の方が、馴染みがあるので、分かりやすい気がする。

 

さらに、中国の思想を聞き齧りたい。

中国思想 - YouTube

 

孟孔思想(儒家

孔子の説いた仁には孝と悌を始めに

他者を思いやる心である【恕】
自分を欺かない心である【忠】
他者を欺かない心である【信】

などの要素があります。


その中でも【孝悌】が最も尊いものであり、人間の原始的感情である。

このような基本的な愛から、【恕】【忠】【信】といった
要素に発展していくものだと考えられたのです。

孟子は、性善説を唱えた。

4つの善の心【四端の心】

・人の不幸を見過ごせない心である惻隠の心
・悪を恥じる心である羞悪の心
・お互いに譲り合う心である辞譲の心
・善悪を見分ける心である是非の心

後天的な環境の影響により、その善の心を忘れてしまう。

逆に善の心を身につけると徳に至る。

 

墨家

差別なく他者を自分を愛するように愛する【兼愛】を説き

他人を愛せば必然的に自分も愛してもらえるという【交利】と言う概念を提唱しました。

これを【兼愛交利】と呼びます。

キリスト教の博愛主義に似ている。

 

老荘思想

道家儒家の思想を 『仁や礼は世の中の乱れを正すために人為的に作られたものである』 と否定します

本来人は道に従って生きていたが、文明が進化する過程で道を見失ってしまった。 それを無理やり縛ろうとする仁と礼は、より人間らしさを奪ってしまう。

【道】とは西洋哲学的に表現すると【ロゴス(法則)】のことです。 宇宙のあらゆるものを成り立たせる存在であり、 言葉で表すことのできない無名のものだと考えられました。

そうした思想から 『自然に従って生きることに勝るものはない』と結論付けます。 これを【無為自然】と呼びます。

 

万物斉同

荘子によると【道】とは『善悪・美醜・優劣などの人為的な区別がない場所』だとされます。

本来万物は区別のない1つのものであらゆる区別は人間が作り出したものである。

そのような人が作り出した区別に左右されることなく、 自由気ままに生きるのが良いよね。

 

天倪: 宇宙の高さから我々の世界を見たら、議論される善とか悪なんてちっぽけなもので そこに差異なんてないことがわかる。

 

荘子は、このようにして無為自然を様々な角度から解釈します。 彼の卓越した例え話の中でも一番有名なのが【胡蝶の夢】でしょう。

 

荘子が目指したのは精神の自由でした。

荘子』が逍遙遊篇から始まることからもわかるとおり、 『遊ぶように生きる』ことを標榜していたのは間違いありません。 しかしそれは、外的世界を遊ぶように生きるという意味ではなく、 道を自得し、現実世界の幸不幸から逃れることで 内的な精神世界において遊ぶように生きることを目指したものでした。

 

実行するの無理じゃね?

無理じゃん

ここまで調べて思った・・・実行するの無理じゃん・・・

「隠れて生きよ」「脱欲せよ」「執着や煩悩を止滅する」「差別なく他者を自分を愛するように愛する」「自由気ままに生きる」

会社員の身で、どう実行すればいいんだ。

 

・仕事を普通にやっていれば、責任が増して会社の顔になって行ってしまう

・脱欲したら、何を糧に仕事を頑張れば良いのか

・差別なく他者を自分を愛するように愛したら、ビジネスできないじゃん

・自由気ままに生きるなんて、どうすりゃいいんだ

 

仕事を辞めるしかない。仕事をやめたらお金がなくなる。お金がなくなったら、生活保護を受ける。本当にそれでいいのか?

 

労働者として理にかなっていた

逆に言うと、下記の今まで抱えていた思い込みは、使える労働者としては理にかなっている。

 

・私には価値がない

→働かないと、存在価値はない

 

・私のニーズはどうでも良い。他のみんなのニーズを満たす方が遥かに重要だ

→会社や社会の都合の良い様に働く

 

・遊んでいる時間ははない。やるべき事がたくさんあるのだから

→仕事ばかりする

 

自分で頑張らなくても、思い込みだけで、どんどん働ける。

 

 

次回、「自由からの逃走」