およげ!黒うにくん

教養のないウニがインターネットの海で冒険するぞえ!

無宗教者が宗教を調べる回 1

宗教にまったく詳しくない人が、宗教を調べていくだけの記事です。

間違いも多分にあると思いますが、滑稽な姿を笑ってもらえるかもしれないので、書いていきます。

 

 

まえがき

私は今、Google信者です。

 

中学生の頃、学校は学級崩壊していました。塾へも行かせてもらえず、周りの大人に勉強を教えてもらえる様な環境でもありませんでした。そこで、高校受験は、ほぼインターネットの情報に頼りました。勉強も進路相談も。

 

検索エンジンはYahoo等もありましたが、Googleに表示される情報は整理されていて、トップページが広告やゴシップニュースで溢れていたりしませんでした。(当時はYouTubeにも広告が無かったですし。)情報を急いで収集する必要に駆られていた当時の自分にとって、それはとても有り難い事でした。

 

今でも、検索エンジンGoogle一択ですし、ブラウザはChromeスマホGoogle pixel。流石に仕事用のデータや契約周りのファイルは例外ですが、ある程度Googleに情報を見られて使用されても文句は言いません。Googleがビジネスを進める先に、自分が恩恵を受けられると手放しに信じているからです。

 

理屈は通っていません。

これは、もはや宗教だと思いました。

 

Googleと1ユーザーの自分が争って勝てるわけがないのに、様々な項目に同意しています。それは、Googleの恩恵を受けた体験が過去にあったからに他なりません。

その人物が何を考えているか分からなくても、海を割って自分を導いてくれた体験をしたら、その先も自分を導いてくれると信じてしまうでしょう。子供の頃の体験なら尚更です。

Googleは私の事を何でも知っています。弱みも知ることが出来るでしょう。私の家族よりも、ずっと。

 

 

さて、私はこの先も、信仰を聞かれて「Googleを信じています」と答えるのでしょうか?・・・まあ、そうなのでしょう。

しかし、Googleはプラットフォームに過ぎません。生きる意味を示してくれたり、苦しみを救済してくれるのは、その先にいる人間です。私は、Googleを通して、人間に救われて来たのです。

 

その人間の思想や知見を、もっと深く知りたいと思いました。

今回はその一環として、「宗教」について調べてみます。

もちろん、Googleを通して。

 

 

「宗教」とは?

テキスト

toyokeizai.net

 

【抜粋】

人類が言語的コミュニケーションを始めるようになってから数万年の間、社会はどこでも宗教の勢力下に置かれていた(だいたい、20世紀の初めまで)

・その後は、科学の時代となり「霊・神・奇跡・たたり」の話が信じられなくなった。(今でも、宗教が大きな力をもっている社会はある)

 

アニミズム

・動物や自然物、先祖などの「霊」を信じる

 

多神教

・さまざまな権能を帯びた「神々」を礼拝する

・他の宗教に寛容

一神教と比較して、不平等を是認しがち

 

一神教

・宇宙の独裁者である「唯一神」の権威に服する

・他の宗教に不寛容

・神の前に人間は平等と考え、平等を目指す

 

④悟りの宗教

・人生の霊妙な理法を「悟る」ことを目指す

 

社会が宗教と分離した瞬間

自分が所属する社会は、宗教と隣り合って、少しだけ重なる存在になっていると思う。冠婚葬祭の時や、年末年始だけ、宗教の存在を意識する。

しかし、昔はどうやら違ったらしい。

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上記の記事では、科学が発展した20世紀に変化したらしい。


ここで、「20世紀」のwikipediaを見てみる。

20世紀 - Wikipedia

とにかく「科学」「科学」「科学」・・・戦争から日常生活まで、あらゆる所に科学が浸透し、良くも悪くも科学が進歩した。空間と時間、DNA、気象、大地、宇宙、エネルギー、インターネット...

逆に言うと、これらが無い場合、宗教を信仰しないと、やってられなかったということか。インターネットが無い状態...物思い耽る時間がかなり増えそう。明日の天気もスマホではなく、空を見て想像するしか無い。今ほど物が溢れていないので、物を大事にしただろう。

 

では、宗教から科学へ移行した時、人々の感覚はどんな感じだったのだろう??

以下、時代を牽引した科学者の考えを見ていく。

 

 

アインシュタイン神はサイコロを振らない

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アインシュタイン 1879年3月14日 - 1955年4月18日

神はサイコロを振らない*1という名言が、カッコいいので覚えていたのだけど、アインシュタインの云う「神」って何?

 

 

以下、Wikipediaの引用。

世界観、宇宙観、宗教的感覚

アインシュタインは「自然法則こそが神」であり「≪人格のある神≫はいない」とする考えを持っていた[22]ともいう。 「アインシュタイン神秘主義は、哲学者のピタゴラススピノザの折衷である」と分析されてきており、1954年の著書 Ideas and opinions 『概念と見解』には、彼のそうした見解が述べられている[23]。それは次のようなものである。

擬人的な神を据え置くというレベルの宗教を超えた場合には第三の宗教体験が存在し、それをアインシュタインは「宇宙的宗教感覚」と名付けた[23]。この感覚の中では≪擬人的な神≫の概念はまったくないし、体験したことのない者にこの感覚を説明するのは難しい、ということである[23]。また「宗教のない科学はかたわ、科学のない宗教は盲目」と例え、「理性における成功を強く体験した者は誰しも万物にあらわれている合理性に畏敬の念を持っている」とし、「科学、宗教、芸術など様々な活動を動機づけているのは、崇高さの神秘に対する驚きだ」としていた[23]

 

実際に自然法則を見つけた人が言うと、言葉の重みが違う。ルーツとして挙がっている哲学者のwikiも見ていく。

 

ピタゴラス「万物は数なり」

紀元前582年 - 紀元前496年

正直、「古代ギリシアで、数学の公式を研究するための秘密教団を作ったやばい人」というイメージしか無かった。なんで数学なのに「教団」なんだっけ?

「数の性質を研究することにより、宇宙の真理を追究しようとした。」らしい。ここがアインシュタインに繋がっているっぽい。

 

スピノザ「神とはすなわち自然である」(一元論・汎神論)

1632年11月24日 - 1677年2月21日

正直、名前すら覚えていなかった。

伝統から自由な宗教観を持ち、神を自然の働き・ありかた全体と同一視する立場から、当時のユダヤ教の信仰のありかたや聖典の扱いに対して批判的な態度をとった。

アインシュタインと同じユダヤ人で、ユダヤ教/キリスト教(?)社会にいた、17世紀の人らしい。非人格的な神概念を提唱し、17世紀当時、炎上したらしい。

動植物だけでなく、人や物も含めたすべての「自然」こそ「神」だという考えを持っていた。この神は、ユダヤ教/キリスト教唯一神ヤハウェ」のイメージだと思う。

 

われわれの精神は、それ自らおよび身体を、永遠の相の下に(sub specie aeternitatis)認識するかぎり、必然的に神の認識を有し、みずからが 神の中にあり(in Deo esse)、神を通して考えられる(per Deum concipi)ことを知る

もう、ちょっと何言ってるか分からない。

 

そんな時は、youtube

 

youtu.be

 

人間も「神」=自然の法則の中にあり、人間が「自分の意志」だと思っている物も、全部、自然の法則によるもの。

ということ(?)多分そんな感じ。

唯一神の文化圏で育っていないので、「神」とか「神の愛」とか言われてもピンとこないのだけど、トラブルが起きた時に、トラブルを起こした個人を責めても仕方なくて、環境とか社会に原因があるよね、という感覚は何となく理解はできる。

 

アインシュタインの神

ピタゴラス「万物は数なり」

スピノザ「神とはすなわち自然である」

上記の2人の人物の思想から、神は自然の法則であり、それは数学である。という思想を持っていたと思う。彼の生きた20世紀には、このような考えを持つことは、社会的に問題にはならなかった様だ。

「神」の存在について考えるが、従来の宗教とは離れて、科学と宗教を融合した思想を持っていた。これが20世紀の人々の感覚だったと思う。

 

※正確に知るには、1954年の著書 Ideas and opinions 概念と見解を読まなければ。

 

 

ニールス・ボーア 勲章に太極図

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ニールス・ボーア 1885年10月7日 - 1962年11月18日

神はサイコロを振らない」と言わせた、量子力学の確立に貢献した、物理学者たちの一人。「アインシュタインよ、神が何をなさるかを貴方が語るなかれ」という名言を残したとされる。

ボーアは、量子論の解き明かした粒子と波動の二重性位置速度の間の不確定性などの世界像を「相補性」と名付け、後半生には量子物理学東洋哲学類似性があるとして東洋哲学、特に易経を研究していた。

 

「原子物理学論との類似性を認識するためには、われわれはブッダ老子といった思索家がかつて直面した認識上の問題にたち帰り、大いなる存在のドラマのなかで、観客でもあり演技者でもある我々の位置を調和あるものとするように努めねばならない。」その傾倒ぶりは、偉大な功績により、デンマーク最高の勲章であるエレファント勲章を受けた時、「紋章」に選んだのが、、光と闇の互いが互いを生み出す様を表した東洋の意匠、太極図であったことからもうかがえる。

 

ボーアが育ったデンマークキリスト教中心の社会、つまり「唯一神」の社会で育ったはず。科学を追求し「不確定性」を目の当たりにした結果、わざわざアジア的な哲学に傾倒していったのは面白い。

挙がっている東洋哲学のwikiも見ていく。

 

易経 ⊃ 陰陽思想

陰陽二つの元素の対立と統合により、森羅万象の変化法則を説く。というのが中心の考え方らしい。その他、占いなどにも使われる色々な思想を含有するらしいが、ややこしいので割愛する。

陰陽 - Wikipedia

 

陰陽互根
陰があれば陽があり、陽があれば陰があるように、互いが存在することで己が成り立つ考え方。


陰陽制約
提携律とも言い、陰陽が互いにバランスをとるよう作用する。陰虚すれば陽虚し、陽虚すれば陰虚する。陰実すれば陽実し、陽実すれば陰実する。


陰陽消長
拮抗律とも言い、リズム変化である。陰陽の量的な変化である。陰虚すれば陽実し、陽虚すれば陰実する。陰実すれば陽虚し、陽実すれば陰虚する。


陰陽転化
循環律とも言い、陰陽の質的な変化である。陰極まれば、無極を経て陽に転化し、陽極まれば、無極を経て陰に転化する。


陰陽可分
交錯律とも言い、陰陽それぞれの中に様々な段階の陰陽がある。陰中の陽、陰中の陰、陽中の陰、陽中の陽。

 

ブッダ(仏教)

個人的には、聖☆おにいさんで光ってたイメージ(日本は自由だな〜)

 

仏教 - Wikipedia

今回詳しい内容は割愛して、

仏教にも様々な宗派があるが、神や仏などの人格を信奉すると言うよりは、世界のシステム・メカニズムを解き明かしていく哲学の側面が強い。これは科学と結び付けられやすそうだと思う。

 

ボーアの場合、仏教の代表的な教えである「諸行無常」「中道」などが、粒子と波動の二重性、位置と速度の間の不確定性などの世界像と結びついたのかもしれない。

 

 

老子(道教)

老子 - Wikipedia

道の道とすべきは、常の道に非ず。名の名とすべきは、常の名に非ず。名無し、天地の始めには。名有り、万物の母には。故に常に無欲にしてその妙(深遠な根源世界)を観て、常に有欲にしてその徼(明らかな現象世界)を観る。この両者は同じきより出でて名を異にし、同じくこれを玄(奥深い神秘)と謂う。玄のまた玄、衆妙の門。

 

「道」は超越的で人間にはとらえがたいものだが、天地万物を生じるという偉大な働きをし、気という形で天地万物の中に普遍的に内在している

冒頭の一文の引用。この辺が、ボーアの思想につながったのかも?

 

 

ボーアの世界観「相補性・相反性」

相補性 - Wikipedia

排他的な性質が相互に補うことで初めての完全な記述が得られるという考え

陰陽思想について、ざっと読んでから読むと、かなり似た内容に見える。

 

現代の科学に染まった価値観からすると、そんな曖昧なことが実際に起きるのかと思ってしまう。妖精の仕業のような摩訶不思議な現象があってたまるか、というように。

 

ボーアはこのモヤモヤを、アジア的な曖昧さを受け入れる哲学で解決しようとした。分からない部分を宗教...というか哲学で補うのは、人類の常套手段だろう。

 

2人はなぜ宗教を手放さなかったのか

アインシュタインとボーアには共通点がある。それは、科学を追求しながら、オリジナルの宗教観を持っていたということ。

科学が普及した後に生まれた身からすると、理屈では分かるのだが、感覚的には少し不思議に思えてしまう。

 

科学に真正面で向き合っていた2人だから、宗教を手放さなかったのだろうか?

それとも時代のせいだろうか?

 

科学に真正面で向き合うと、宗教(哲学)を考えざるを得ない説

「自然の法則=神(唯一神)」としていたアインシュタインと、曖昧さを哲学で補完し受け入れる姿勢のニールス・ボーアは度々対立したという話はあまりに有名。その人間関係に象徴されるように、一般相対性理論」と「量子力学」はまだ統一されていない。

 

しかし、一般相対性理論量子力学も、実際に現代の暮らしに使われている。不思議な現象を、我々は受け入れて暮らしている。一般の人々は、科学を意識する必要もなく、その恩恵を受けている。生活に困ったり、不安を抱えていなければ、不可解な現象について考え、宗教に傾倒する必要もない。

不思議な現象があると知っても、思考出来っこない問題と知ると、それ以上考える事はしない。忙しい現代社会では懸命な判断だろう。妖精のせいにでもしておこう。

 

科学の発展によって、一般市民は宗教から離れ、科学者は宗教に近づいた。

 

jp.quora.com

 

今も2つの理論の統一へ向けて研究は進んでいる。妖精が居なくなるのも時間の問題なのかもしれない。

しかし、一般市民がそれを深く理解するのは、その知見が生活にすっかり浸透した後の事になるだろう。妖精の消失をタイムリーに知るのは、ごくわずかの一部の人間だと思う。最後まで我々は、科学にも宗教にも接する事なく、その恩恵だけを享受する。

 

news.mynavi.jp

 

 

単純に時代の問題説

アインシュタイン(1879年3月14日 - 1955年4月18日)

ニールス・ボーア(1885年10月7日 - 1962年11月18日)

 

二人の価値観が形成されたのは、19世紀の終わりから20世紀初頭。

科学がすっかり浸透した、20世紀の後半に生まれたら、宗教のことは考えなかったのかもしれない。

 

 

次回、20世紀中頃〜後半に活躍した科学者の宗教観を見て見たい

*1:※1:観測される現象が偶然に選ばれるという、量子力学のあいまいさを批判した時の名言。